日本酒ブログだから、本のレビューはしないけど……
2007年に発売された、島田紳助さんの著書『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』を僕なりに咀嚼して、日本酒の提供と照らし合わせて考えていく。
この本でキーワードとなるのは、「サービス」だ。
どうか、飲食店さん、または自宅などで日本酒を振る舞う機会がある一般の人にも、読んで考えていただきたい。
この本でキーワードとなるのは、「サービス」だ。
どうか、飲食店さん、または自宅などで日本酒を振る舞う機会がある一般の人にも、読んで考えていただきたい。
目的を見失わない
この本を僕が初めて読んだのは、大学生の頃。
当時は、あー当たり前のことを書いているだけやん! と感じたが、いまになり、読み返してみて、ようやくわかった。
当時は、あー当たり前のことを書いているだけやん! と感じたが、いまになり、読み返してみて、ようやくわかった。
「当たり前のように思えることでも、実際には、なかなか行動に移せない」
この本で語られている「サービス」について、タイトルにも使われている『ご飯を大盛りに~』の章を、一部引用して考えていく。
お腹を空かせた学生の顔を見て、ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する。中略
「オバチャンの店に行くのは腹一杯食えるからや」と学生は言うかもしれないが、ほんとはみんな、オバチャンの気持ちが嬉しいのだ。
客は料理だけを食べているわけじゃない。店の人の気持ちも一緒に食べているのだ。
だから商売をする人は、お客さんが本当に満足しているか、気持ちよく帰ってくれたかを、いつもよく考えておく必要がある。
言葉は悪いけれど、それは「店と客との心理戦」でもあるのだ。
つまり、お客さまに満足してもらえたか、が重要だということ。
それまでの過程は、あくまで手段。
どれだけおいしい料理を出したって、店の雰囲気や店員の態度がわるければ、お客さまは満足しないことがある。
反対に、環境に手を抜いても納得されるくらい、おいしい料理が出せたなら、それでもいいということ。
目的は、いつだって、お客さまの笑顔だ。
日本酒に置き換えてみると
これを日本酒を提供する立場(飲食店・一般家庭・日本酒イベント等)で考えてみる。
たとえば、「和らぎ水」を出すところと、出さないところがある。
和らぎ水とは→『和らぎましょう』
和らぎ水を出さないお店がわるいというわけではないけど、個人的には出してもらいたい。
出してもらえなくても、お冷やを注文するのだけど。
日本酒をたくさん飲んでいると、味の違いがいくらか鈍くなってくるし、泥酔しないように、また次の日に残さないようにしたいので、和らぎ水がほしくなる。
そんなことを考えてくれて、注文せずとも最初に和らぎ水を出してくれたら、優しいお店だな~、気持ちのいい場所だな~と感じる。
もちろん、和らぎ水を出さないところでも、素敵なお店はたくさんある。
それは違うところで、それ相当の価値があり、満足させられているということなので、それもまた素敵なことだ。
お客さまが、なにを求めているか
飲食店にしても、一般家庭にしても、それぞれの「売り」がある。
すべて完璧にする必要はないと思うのだけれど、それぞれがお客さまに満足してもらえるような空間づくりに徹する必要はあると思う。
すべて完璧にする必要はないと思うのだけれど、それぞれがお客さまに満足してもらえるような空間づくりに徹する必要はあると思う。
「おいしい日本酒をたくさん置いているんです」
という日本酒バーが、「たくさんの日本酒の中から、気にいった日本酒を探す楽しさを演出したいんです」などと答えるのであれば、目的に応じた空間づくりに近付けているのではないかと思う。
提供する側は、それぞれの「売り」があって、お客さまは、その「売り」を求めてやってくる。
提供する側とお客さま。
互いの目的のベクトルを高い位置で交差させることが、満足へと繋がる。
そういう視点で見ると、なにも、おいしい日本酒や、おいしい料理を出すことだけがすべてではないと考えられるだろう。
仕事帰りの疲れたサラリーマンを癒すのは、まったりとした香りの日本酒よりも、スナックのママが注いだ淡い冷酒かもしれないし。
変わり映えのない毎日を送る主婦に刺激を与えるのは、刺激的な味の日本酒よりも、イケメン店員の注いだ甘い甘い日本酒かもしれない。
「お客さまは神さまです」
綺麗ごとではなく、本当にそう思う。
お客さまに媚びるという意味ではなく、お客さまに満足してもらえるような空間をつくること。
それが、僕の考える「サービス」だ。
綺麗ごとではなく、本当にそう思う。
お客さまに媚びるという意味ではなく、お客さまに満足してもらえるような空間をつくること。
それが、僕の考える「サービス」だ。
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